紅型に関わること四半世紀。流れにのって変化を楽しむ紅型作家 賀川理英 | Dear Okinawa,

よみもの

2020/10/30 14:25

「“沖縄で作っている”ということが一番の魅力ですね」

沖縄の工芸品についてこう話すのは、紅型作家の賀川 理英(かがわ りえ)さんです。

工芸品は、その土地の歴史や文化、流れる空気、その時に地域で起きていること全てが反映されるので「沖縄の工芸品は=沖縄そのものですよね」と賀川さん。


埼玉県出身の賀川さんは、高校生の頃から“紅型風”や琉球音階が好きで(小学生の時に聴いた喜納昌吉のハイサイおじさんはずっと印象に残っていたそうです)、まだ見ぬ沖縄に想いを巡らせていたのだとか。「今からもう30年以上も前のことです。その頃は、今のように情報が簡単に手に入る時代ではなかったので、沖縄に関することは無知でした」と当時を振り返って話してくださいました。


「高校卒業後は東京にある染色専門学校に進みました。将来は染め物の道に進みたい!という夢があったわけではないんです。何も考えていなくて、ただ、目の前にある好きなことに夢中になっていました。バブルの時代だったので、気楽な気持ちで専門学校に(笑)。本物の紅型を見たのは、二十歳の頃でした。美術館で紅型展が開催されていたんです。初めて生で紅型を見た時は本当に感動しました。それで沖縄に行ってみようと思ったんです。当時、沖縄は今ほどの観光地ではなかったですし、沖縄の情報も何もなくて。だったら実際に見てみよう、と思ったんです。1年ぐらい滞在するつもりで沖縄に引っ越しました。」


沖縄に住み始めてすぐに紅型教室へ通い始めましたが、物足りなさを感じるようになり、紅型工房で働くことに。9年かけて基礎から修行を積み、その後独立。1999年に工房「紅型だいだい」を立ち上げました。最初は那覇市首里に工房を設けましたが、2002年に宜野湾市に、2009年に南部の糸満市に工房を移しました



「那覇、宜野湾、糸満と住んでみて、いま住んでいる糸満が自分にとっては一番住みやすいです。近所の郵便局やスーパーマーケットが那覇に比べて混雑しないこと、風が気持ち良いこと、海がすぐ近くにあること、夜には肉眼で天の川が見えること、30分ほどで那覇へ行けること…糸満に住むことのメリットをあげるとキリがありません。県外からの移住者が多い那覇では体験することができない濃い人間関係に溶け込むのも、私は難しくなかったです。土地が安いから住宅も工房も広く使えて、それに私は庭いじりも大好きなので庭も確保したかったし、糸満は私に合っています。」


「古い紅型を知れば知るほど、魅了されます。紅型に関わってもう四半世紀以上ですが、全然飽きないんです。」と目を輝かせながら話す賀川さん。500年の歴史を誇る紅型は、海外交流や世界中の様々な文化の影響を受けているそうで、そこに琉球の美意識や沖縄の自然、風土、日本的な繊細さが加わり、今日に至ります。


2017年からは、藍染め(琉球藍)も始めたそうで「藍は毎日、朝と晩かき混ぜなければいけないのだけど、お世話することも楽しいんです。」と話します。




「その他にも挑戦してみたいこともたくさんあって、その度に作りたいものもどんどん変化していくんですけど、もう毎日が楽しくて楽しくてしょうがないです。いま、作風がガラッと変わっている時期なので、今後の作品も楽しみにしていてください。一般的には、機械で作るようにキレイな仕上がりのものが上等!とされていますが、きっちりしたものが好きではないことに最近気がつきました。長いこと、先生に言われた通り“ちゃんと”作ってきたのですが、その完成品が好きではなかったんです。これからは、自分が作りたいと思える作品作りをしていきたいです」とこれからの目標を語ってくださいました。



最後に「これから沖縄に移住を考えている人にアドバイスはありますか?」と尋ねたところ「今は調べればどんなことでも分かりますよね。沖縄に移住した人が、現地の情報を綴ったブログもたくさんあります。だけど、そういうのは“見ない”のが良いんじゃないですか?分かっていたらサプライズもないし、知らない方が楽しいと私は思うんです。」と賀川さん。

 

予測ができないから、人生は面白いのかもしれませんね。


Photo &text:舘幸子



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